はらちゃんのプロフィール

 

初めまして、はらちゃんです

 

毎日忙しく動き回る50代の主婦です。

 

そそっかしさからリアルサザエさんと

呼ばれていますが、新しい発見を見つけると

ワクワクして、楽しく日々を暮らしています。

 

ウクレレという

可愛いヒーリング楽器に出会ったため、

弾きながら癒しをもらっています。

 

それでは、そんな

はらちゃんのプロフィールをご紹介します。

 

今どき4世代のような家族

 

 まず、家族紹介をします。

同居の家族は、高齢の実の両親と

夫とはらちゃんの4人暮らしです。

 

父は、自動車会社で働き抜いた人です。

真面目でがんばり屋です。

 

母は、20年前に夜のウォーキングで

交通事故に遭い、脳挫傷後遺症が原因で、

アルツハイマーとなりました。

現在は、介護施設のお世話になりながら

在宅で介護をしています。

 

夫は、化学薬品会社の会社員で

マイペースな人です。

 

はらちゃんには、2人の娘がいます。

娘たちが学生の頃は、勉強しなくて

世間の親御さんと同じように

はらちゃんはよく怒っていました。

 

でも、小学生の頃からパソコン教室に

通わせていたため、それぞれ会社員として

パソコンのスキルを生かして

たくましく頑張って働いています。

 

2人とも結婚して家庭を持ち、

長女には2人子どもがいます。

次女は、保護猫たちを

可愛がって楽しい家庭を築いています。

 

なぜ4世代のような家族かといいますと、

の3つの家庭が、スープの冷めない距離に

るからなのです。

 

時々、LINEで娘から

おかずのリクエストが来るので

作って持って行ったり、

孫の塾の送り迎えに行ってます。

 

賑やかな声が聞こえてきたな、

と思うと娘たちが遊びに来てたりします。

ですから、感覚的には4世代家族なのです。

 

下は、5歳から上は87歳まで揃っていますと

流行っていることを知ったり食べ物の知識、

人間の成長過程から老いていく様に

触れることができます。

 

しばしば、はらちゃんは

家族に振り回されることもありますが、

幸せなことだと思っています。

 

 

最愛の音楽を意識したのは5歳音楽は、

「聴く」と「やる」があります。

音楽のない人生だったらどんなに

味気なかったでしょう。

 

はらちゃんと音楽は切っても切れないもの。

音楽家にはならなかったけど、

自由に音楽と生きてきました。

 

はらちゃんの記憶で

初めて音楽をやった場面は、

幼稚園の教室でオルガンを弾いてる

自分です。

 

音楽が好きだったけれど

自分は何の楽器もできなかった母は、

夢を3人の娘たちに

託したのではないかと今は思います。

 

そんな母も現在は、

アルツハイマー型認知症

ほとんどの記憶をなくしているため、

昔の話しを聞くことはできませんし、

会話も成立しません。

 

母親がはらちゃんを

ヤマハ音楽教室へ入れましたが、

今ではとても感謝しています。

 

そして、あっという間に時が経ち、

半世紀経ったら、自ら

「ヤマハ大人の音楽教室」の生徒に

なったので人生って面白いなと

思っています。

オルガンの次は、

ヤマハエレクトーンを習いました。

これも自分の知らないところで

決められていました。

 

エレクトーンは、足のペダルと右手で

メロディー、左手で伴奏を弾きます。

最初の先生が幼稚園の園長先生の

優しいお母さまでした。

 

優しい先生でしたので

レッスンがとても楽しくて、

練習曲も洋楽や映画音楽、ジャズでしたが、

どんどん弾けるようになりました。

 

理屈抜きで音楽って楽しい!と思いました。

 

ところが、一転して

5歳から10年間はらちゃんは、

音楽暗黒時代に突入します。

 

最初の優しい園長先生のお母さまから

楽しく習っていたのに事情は知りませんが、

それからは、入れ替わりで

ヤマハの若い先生から教わることになりました。

 

面白いことに

どの先生も、ユーモアのかけらもなく、

笑顔で話しかけられた記憶もないのです。

子どもだったのでそんな冷たくて怖い

雰囲気がつらいレッスン時間でした。

 

自宅でも翌週のレッスンのために

渋々練習していました。

 

楽しくない・・

やらされてやる音楽は楽しくない・・

音楽は好きなのにちっとも楽しくない・・

 

5歳からの10年間という

成長期の音楽の記憶は、

楽しいものとは言えませんでした。

 

発表会も何回かステージの上で

弾いたことがありますが、

自分が何をしているのか

分からなくなってしまう状態になりました。

そんなことも苦い思い出です。

 

思春期の頃は素直になれず、

ヤマハの先生との良い師弟関係も築けず、

中学生になったらレッスンの日に

友達の家に遊びに行ってしまったりしてました。

 

中学が終わる時に

エレクトーンのレッスンをやめました。

解放されて嬉しかったです。

 

「意味のないことなんてない」という

言葉がありますが、振り返ると

この辛かった10年も後に

意味を見出せるようになりました。

 

ここまでは、

音楽を「やる」お話しをしてきましたので

ここからは、

はらちゃんが音楽を「聴く」方の

お話しをします。

 

はらちゃんは5歳のときに

衝撃的な音楽と出会いました。

幼稚園で童謡を歌っていた

毎日だったのですが。

 

毎夏、はらちゃんと妹は、

いとこ達がいる叔母の家に

泊まっていました。

幼少期の楽しい思い出です。

 

ある日、いとこのお姉ちゃんに連れられて

くにある親戚の家に遊びに行った時のこと

す。

ある部屋から聴いたことのない音楽が

こえてきました。

 

その家には、

2人素敵なお姉さんたちがいました。

そのお姉さんの部屋から流れてきた

楽を聴いたはらちゃんは、

初めての不思議な気持ちになり

いっぺんで大好きになりました。

 

のちにその時の気持ちは、

「切ない」と知りました。

いとこのお姉ちゃんからイギリスの

ビートルズというグループで

「ミッシェル」という曲名ということを

教えてもらいました。

 

ビートルズの「ミッシェル」を

大好きになったはらちゃんは、

母にレコードを買ってもらいました。

 

エレクトーンの習い始めとビートルズを

聴いたのが同時期の5歳で

そこから自然に洋楽一辺倒になりました。

 

解散してもう50年も経つのですが、

今でも史上最高のロックバンドというと

ビートルズが取り上げられていますね。

 

5歳のはらちゃんは無意識でしたが、

どんどん音楽が『生きがい』となっていく

始まりがビートルズでした。

 

 

はらちゃんが駆け走った学生から
祖母になるまで

 

 正直申しまして、ぱっとしない

学生時代を地元で過ごしました。

今思うとせっかく若さがあったのだから、

色んな事にチャレンジすれ

よかったのにと悔やまれます。

 

人生には、分かれ道があります。

中学の頃は勉強が大好きだった

はらちゃんは、進学校の女子高に入学して

最初に学力テストを受けました。

 

難しかったのです。

マンモス中学で上位にいたのに。

 

テストが返されたらガーン!!

下位でした。

 

こんなに頭のいい女子たちが

たくさん上にいるんだ、と

ショックでした。

 

ここが、分かれ道でした。

その最悪な成績でがんばろうと

奮起しなかったのです。

今の自分ならきっと悔しいと思いますが、

その頃の自分はそこで投げちゃったんです。

 

勉強はしなくなり、

何かをしたいわけでもな

友達と遊ぶ日々でした。

とても優秀な女子ばかりでしたので

現在も社会の中で皆様

ご活躍されております。

 

 

まったく意欲的ではなかった

学生時代でしたが個性派の友達が

何人もできたことが宝です。

 

音楽でも1973年

荒井由実ファーストアルバム

「ひこうき雲」が発売されたり、

山下達郎さんが活躍し始めて

新しい音楽にワクワクしました。

 

学生時代も終わり、

なりたい職業もなかったので

事務員になりましたが、数年勤め退社し

なんとなく「コンピューターに触れたい」と

漠然と思い、データ入力の会社に入社して

―パンチャーになりました。

 

今から35年ほど前には、

身近にコンピューターを見たことが

なかったです。

ブラインドタッチを指導してもらい、

現在も役に立っているので

よかったと思っています。

 

はらちゃんは、ポンコツな歩みでしたが

必要な人や困ったときに救いの手が

差し伸べられ人に助けられ、

支えられてきました。

 

 

感謝。感謝でいっぱいです。

 

 

はらちゃんは、

キーパンチャーになる前の会社の同僚と

結婚しました。

ここはサラッと流したいと思います。

現在もですがずっと友達感覚です。

 

兄弟によく間違われて、

誕生日が同年同月の1日違いなのです。

なんか不思議と人に言われます。

 

そして2人の娘たちに恵まれました。

子育て期間は、必死で一生懸命だったなと

今思います。

 

当時は、

携帯も自分のパソコンもなかったけど

書くことが好きだったはらちゃんは、

絵や文字で12冊の子育て日記を書きました。

 

今は、走り書きで

孫たちの成長記録を書いています。

手書きが好きなんです。

 

勉強は好きではなかったけど、

2人の娘たちはあっという間に成人しました。

姉妹は、とても仲良しで、2人とも

生きることにたくまく成長しました。

 

はらちゃんの子育ては、ポイントだけ力を入れ、

あとは見守るやり方でした。

子どもには子どもの人格があるし、

はらちゃんも母親だけど『私』で

ありたかったからです。

 

子離れは自然にできましたが、

現在も親子であり家族であり仲間の交流で

お互いに助け合っています。

 

娘たちもそれぞれ頼りになる伴侶を見つけ

庭を持ちました。

長女には、女の子と男の子の子どもがいます。

ワイルドな両親の明るく楽しい家庭です。

 

次女の家庭は、保護猫と小町という

2匹の猫がいて、優しい義理の息子と

楽しく暮らしています。

夫婦でどんどん新居も建てました。

 

2人とも会社勤めをしているため、

はらちゃんは、孫の塾の送り迎えや

リクエストされたおかずを作ったりの

協力をしています。

 

なんだかんだあっても家族ってチームなので

みんなで助け合うし、認め合っているので

族っていいものだな、と思います。

 

一度だけ、

死を意識して向き合ったことがります。

40歳くらいの時に左胸の下にごろっという

感触のしこりを見つけてしまったのです。

 

怖がりで痛がりで大げさなはらちゃんは、

の世の終わりのような顔をして

市立病院に行き、検査をしました。

 

心配ないでしょうと経過観察で

半年に一度検査することになりました。

でも、検査する度にしこりが大きくなっていて、

癌細胞なのかどうなのか病理検査しますと

言われました。

 

それからは、外科医、麻酔科の医師と

夫とはらちゃんで話し合いをしました。

はらちゃんは、自分の考えを言いました。

 

全身麻酔で摘出手術をしてほしいこと、

もし摘出したものが、悪いものであったら

全身麻酔で眠っている間に

乳房の手術もしてほしいことを話しました。

 

手術日まで1か月ありました。

ネットで調べては、落ち込んでみたり

励まされてみたり感情の起伏が

激しかったです。

子どもたちのこれからを考えたり、

ぐるぐるしてました。

 

そして手術当日がきました。

 

遠くの方から

はらちゃんの苗字を呼ぶ声がこえました。

「良性でしたよー。良かったですねー。」

手術室の看護師さんたちが明るい声で

麻酔から目を覚ましたはらちゃんに

呼びかけてくれました。

うっすらした意識の中でほっとしたことを

覚えています。

 

「線維腺腫」というもので、病気でもなく

きやすい体質と説明されました。

しこり発見から手術して良性とわかるまでの

1年半が、不安で落ち着かなかったです。

 

そんな経験もあり、

今健康で家族と賑やかに暮らせることを

有難く思います。

小さな幸せを大切にするようになりました。

 

 

音楽の楽しさを再認識できた喜び

 

 ここまではらちゃんの道のり

を読んで頂きありがとうございます。

あっちぶつかりこっちぶつかりしながら

駆け走ってきました。

 

娘たちが成人して、あっという間に自立し、

忙しいながらもやりたいことはやってきた

らちゃんは、さらに羽を広げて

飛びたくなりました。

 

家族にも「いつも唐突」と

言われてきましたが、本人からしてみれば

唐突ではないのです。

 

ずっと胸に暖めてきて口に出さなかっただけ。

「いつか弦楽器を弾いてみたい」と

思っていたので、

「ウクレレなら手軽そう。よし、ウクレレ習おう!」と

決めました。

 

別の理由は、シニア世代になっても

ずっと楽しめる趣味が欲しかったのです。

それまではこれといった趣味がなかったので。

 

決めたら即ヤマハの体験入学を申し込み、

生との相性も良かったので

生徒になりました。

 

半世紀経って再びヤマハの生徒に

なったことが、可笑しくもあり

嬉しかったです。

あまりちゃんと練習しなかった

生徒でしたが、毎回楽しいレッスンでした。

 

はらちゃんがメロディーを弾き、

先生が伴奏を弾くレッスンも

音が合う楽しさを味わえました。

 

好きな曲で気持ちが乗ると、それが演奏に

れるようで、ほめてもらえたので

とても嬉しかったです。

 

3年半教室に通ったあと、

現在はのんびりペ―スの独学練習を

しています。

 

はらちゃんは、子どもの頃の10年間の

レッスンがトラウマになっているので、

自分のぺースで音楽をやることが

こんなに楽しいものなのかと

しみじみ思っています。

 

ただ、エレクトーンを習っていた

10年間は子ども心に辛かったですが、

ウクレレでは使わない五線譜が

読めるようになったこと美しい和音を

学べたことを母に感謝しています。

 

ウクレレの練習も上手くできないところは

分の工夫しだいで、できるようになります。

出来なかったことが、出来るようになった

の喜びは大きいです。

 

小さな楽器ウクレレの音色に癒され、

周りも笑顔にしてくれ、難しい小節を

クリアすると気持ちも上がりワクワクします。

 

今度はこの曲に挑戦してみよう!という

意欲的な自分がいることにも気づきました。

 

若かった頃よりも現在の方が、

気持ちも若いし充実しています。

それは、ウクレレがもたらしてくれたものと

確信しています。

 

「意味のないことなんてひとつもない」

という言葉がありますが、ここまで生きてきて

当にそうだと思います。

 

辛かったり、傷つついたりしたことも、

時間、時間が経つとそれらは、気づきに

変わります。

 

辛い経験は、現在を輝かせてくれました。

然と深い感謝の気持ちが湧きます。

 

学ぶことに年齢は、関係ありません。

学ぶ意欲、知りたい気持ちがあれば、人は

いつまでも若々しくいられると思っています。

 

多くの人に支えられてここまでたどり着いた

はらちゃん。忙しいけど、充実した毎日を

ごしています。

 

ウクレレという可愛い相棒もできましたし、

シニア世代突入も楽しみです。

 

 

ここまではらちゃんのプロフィールを

お読みいただきありがとうございました。

 

プロフィールでお伝えした通り、

私は、このブログを通してご縁のある方が

どんどんウクレレを始められるような

有益な情報をお届けしていきたいと思います。

 

自分自身が今まで学んできたことを

ご縁ある皆さまにシェアさせていただき

一緒に「自分らしく楽しむ」について

語り合える仲間が、たくさん増えることを

願っています。

 

ブログとは異なった視点で

本音ぶっちゃけの「メルマガ」も

配信していこうと思います。

 

ブログよりもメルマガの方が

ざっくばらんに自分の本音を伝えられるから

私も気楽にお伝え出来ますし

私のことを知っている方からは、

人生を楽しんでおられますねと言われます。

 

メルマガやブログ以上に

あなたと蜜にやり取りできるので

メール等を通してウクレレの悩みや

「こうしていきたい!!」という

あなたの想いにお応えできます(^^)

 

私の無料メルマガでは

「ウクレレパラダイスの話」とか

「不器用な私でもウクレレ弾けた話」とか

「ドレミが読めなくても弾ける楽譜がある」とか

「繰り返し練習で楽しみ増えた話」とか

 

「ハワイアンで南国気分を味わっている話」とか

「指と頭を働かせボケ防止の話」など

 

私が教室で教わったことや調べたことを

解説していきウクレレを簡単に楽しく弾くことの

カギとなる内容をお話ししています。

 

下記にご登録の案内がありますから

無料ですのでぜひこちらから登録してみてください。

 

ウクレレの音色をたくさん奏でて楽しい

ウクレレライフを作っていきましょう!

 

またメルマガ講座の中でお会いしましょうね。

ご自身のモチベーションアップにもお役立て下さい。

 

メルマガ登録はこちらから

 

音楽が好きな子供時代からウクレレに出会うまでの物語

 

音楽大好きストーリーを公開プレゼント中!!

 

torokuword1

名前
メールアドレス
※メールマガジン登録後いつでもすぐに配信停止ができますのでご安心ください。
※メールアドレスは個人情報の観点よりプライバシーを遵守しております。